この本を読んだきっかけ
「マキアヴェッリ」、「君主論」。いずれも、学生時代には、「権謀術数」という何やら小難しい用語とともに記憶にあったのですが、彼がどういう人物で、書物がどのような内容かを全く語ることはできません。聞きかじりで、知ったようなことを語るのは後ろめたく、心の底でもやもやとした気持ちがあったのでしたが、かといって原著を手に取って読もうという気概もなく、いつしか時が過ぎてしまっていました。
数年前、マキアヴェッリが君主論を著してから500周年だとか言われたのを耳にしたことがあり(おそらく、アタック25のクルーズ旅行が当たる最終問題と思う)、そのころから気になっていたのですが、あるときブックオフで105円コーナーにこの書籍が売られているのを見て、ふと手に取ってしまいました。
単純に、昔のもやもや感を晴らしたいという気持ちもありましたが、他方で、
”中小企業診断士として、リーダーシップ論・モチベーション論に関する起源となりそうな本に触れられるチャンスではないか?”
という下心も、多少ありました。”60分で名著快読”のフレーズもむなしく、読むのに半年くらいかかってしまいましたが、積年のもやもや感が晴れたすっきり感と、君主というものに対する自分の考え方に少なからず影響を受けたような気がしました。とても面白く読むことができました。
本を読んで得た気づき
イタリアとマキアヴェッリに対する誤解
私は、世界史に疎いこともあり、生まれてから世界地図のイタリアという箇所はイタリアであるという教育を受けてきましたので、イタリアは19世紀に至るまで統一的な国家が形成されていなかったという事実に驚きました。例えは妙かもしれませんが、日本でいう戦国時代のような状態がかなり最近まで続いていたということです。そんな状況だったからこそ、君主論は生まれたといえるのかもしれません。
権謀術数=マキアヴェッリズムともいわれるくらいなので、マキアヴェッリ=軍師や参謀といった、国家のなかで軍事戦略を研究する研究家であると勝手に想像していましたが、実際は違いました。マキアヴェッリは、優秀さを買われてフィレンツェの書記官としてキャリアをスタートするも、政変等に巻き込まれ、国家の役職を追われ隠遁生活を余儀なくされます。著者も君主論は、就活のようなものと述べていますが、この時期のマキアヴェッリは、君主論以外にも様々な著作、ときには戯曲も著したりなど、多才を発揮しています。
マキアヴェッリは、君主論のなかで、国家は大きく、共和制と君主制に分けられ、君主論の中では君主制について述べると書かれています。一方共和制についてはローマ史で述べるということで、実際はマキアヴェッリはあくまで君主制を押していたわけではなく、客観的に、君主制ならば、こうすべき。共和制ならばこうすべきと述べたかっただけだということがわかります。
コメント