一足遅れての完走(感想)
昨年の大河ドラマ「いだてん」は、もうとっくに最終回の放送を終えていたのですが、私はというと、つい昨日、全話を見終えることができました。恥ずかしながら、第16話あたりでいったん挫折してしまい、残り30話以上を、冬連休が開始した12/26あたりから一日数話ずつ一気見して、ようやく追いついた形です。いやー長かった。けど、見てよかった。いったん挫折したことについて言い訳しますと、今年は珍しく歴史歴史した感じでなく、普通のドラマ好き…具体的には奥さんでもなじめるかと思い一緒に見始めたのですが、いつしか一緒に見るタイミングを逸し、後回し、逸し…の繰り返しで、たまりにたまってしまったのです。最近奥さんもあきらめたらしく、私一人で長期休暇を利用してみることになりました。
低視聴率といわれつつもとてもよかった
巷の評判を見ると、どうやら歴代記録となるレベルで視聴率がとても低い大河ドラマなのだそうです。低視聴率の原因として、時代設定が目まぐるしく変わりわかりづらいであるとか、いわゆる戦国武将や幕末志士といった有名どころでないから、大河ファン層たる歴史ファンを置き去りにしてしまったとかいろいろ言われています。
確かに視聴率は低かったようですが、私はとても楽しめました。特に、1940年の幻となった東京オリンピックにまつわる第2部は、毎回涙なしには見られない感動モノでした。第3部は確かに、悪評ともいわれるところの「大げさな演技」みたいなところがあり、全体的にNHK多分こうだったんじゃないか劇場感が否めませんでしたが、これだけ最後までダレずにみられた大河は今まで私の経験ではなかったので、オリンピック開催日がひとつの賞味期限とするならば、まだあと数か月ありますから、ガンガン再放送したりして、あとからじわじわと人気を博してくれるのではないかなと思います。
私にとって初めてのクドカン作品
恥ずかしながら、私は「あまちゃん」はもとより、宮藤官九郎作品というのが、初めてでした。確かに、斬新な構成・演出といいますか、スピード感がすごいなと感じました。いくつもの場面・時代・人物が切り替わるので、内容が大河でなく普通のドラマでもついていけない人は多いだろうなと思います。私は、いつも録画番組を1.3倍速で見ているので、「いだてん」に関しては、なかなかついていくのが難しかったです。特に、ビートたけしが演ずる古今亭志ん生は、セリフ回しが早口なのに加えて、滑舌もあまりよくないので、正直何を言っているのかわからないところばかりでした。それでも、メリハリの利いた演出で、「物語上重要な個所はココだ!」とばかり、何度も強調したりされるので、ついていくことはできました。よくも悪くも現代風といいますが、YouTubeっぽい(とかいわれると作家側としては気分が良くないのかもしれませんが)1にも2にもテンポの良さが心地よく、よーく考えて作りこんでいるのだろうなと感じました。
センシティブな近現代に踏み込んだ勇気
近代オリンピックと日本の関係を語るうえで、大日本帝国時代を避けることはできないでしょう。中世以前と違い、ただドラマとして面白いとか、時代考証として正しいとかではなく、利害関係のある各方面からの批判が紛糾するような事態を避けるために、表現に相当気を使ったのではないかと感じました。例えば、皇紀2600年を記念して、なんとしても1940年の東京オリンピック開催を実現すべく、ムッソリーニに開催国の権利を譲ってもらおうとするシーンや、開催権を得て、ヒトラーに感謝をするシーン、ベルリンオリンピックで朝鮮出身の孫選手が金メダルを取るシーン、その他、日本国が行った侵略行為や、男尊女卑的な社会風潮や差別など、現代に続くような文脈のなかで起こった出来事などは、一歩表現を間違えると大きな反感を買ってしまいそうなところですが、そこはやはり宮藤氏の腕といいますか、とにかく言葉選び、ユーモアでうまく包みこみ、誰もが納得する形でストーリーに仕立て上げたのは素晴らしいと思いました。
そこはかとなく漂う昭和感
そういえば、ちょっと前までは、会社の会議室や体育館でも、平然と煙草がスパスパと吸われており、部屋中が煙でよどんでいるのが普通だったなとか、昭和生まれの方は思わずノスタルジーに浸ってしまうのではないでしょうか?会社でも泊りがけで仕事をしたり、パワハラまがいのことを上司が平気で言い放ったり(このあたりは令和の今も通じる!?)、女性はコンパニオン程度の役割としてしか見られていなかったり、(女性がいると花があるなぁ…みたいな表現も現代だとセクハラでしょうか!?)あまり過去の悪しき風習とされることを賛美することは不謹慎なのでしょうが、やはり昭和という時代はおおらかであったなぁ…と古き良き時代を懐かしむような気分に浸ってしまいます。この辺りも、やはり、クドカンお得意のユーモア・人情、人間・人生・生命というものに対する敬意を丁寧に描くことなくしてはうまく伝えることができなかったのではないかと思ってしまいます。
反対論者こそ一度見てもらいたい
1964年の東京オリンピックでは、国民が最初から一つにまとまっていたかというとそうではなかったようで、そのあたりは第3部で描かれています。(一つは安保の問題ではありましたが、)小さいところでは、最も希望を持ってほしい若者にオリンピックが浸透していないということで、あれやこれやとテコ入れを図るシーンがありました。私は、前回の東京オリンピックは、戦後復興・高度経済成長の中、国民の心を一つにしたシンボリックな存在であったという認識でいたので、こうした事実には若干驚きを感じました。現代でも一部には高額な費用を払って得るものがあるのかと懐疑的な論調があり、そういう懐疑論は必ずしも、経済的に成熟期を過ぎてしまったがゆえに起こるしらけムードというわけではないんだなと思いました。何を隠そう私も、もともとあまりオリンピックというものに情熱を燃やす人の気持ちがわからないタイプの人でしたが(といいますか、サッカーにしろラグビーにしろワールドカップのようなお祭り騒ぎ的イベントであまり血が騒がないタイプ)、47回の大河ドラマをみて、少なからず熱い思いを抱き始めていることを感じます。なので、今現在、オリンピックなんかくそくらえ!(と思っている人がいるかわかりませんが)と思っている人は、ぜひ一度見ていただきたいなと思いました。
というわけで、明日はいよいよ、メダルを取れなかった金栗が情熱を注いで作った「駅伝」が始まりますが、いつもっとちょっと違った感慨深い気持ちで見れることでしょう。
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